調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第188回
2025.4.26

存在に多くの謎はらむ

来島海峡近くの古墳

早川和子氏作画=2009年制作、県歴史文化博物館蔵
 本連載にて何度か紹介したことがある県内最大の前方後円墳・今治市相の谷1号墳(全長約82m)の完成間近の様子を描いた復元画。眼前には来島海峡としまなみの島々が広がる。古墳の造営には多くの人々の労働が必要であった。古墳の上では、この古墳を造らせたリーダーが沖を行き交う船を見つめている。古墳に並べられた埴輪(はにわ)には、東四国の影響を受けたものもあり、近隣地域とのネットワークもあったと思われる。
 2段に築いた墳丘には葺石(ふきいし)が葺かれ、円筒埴輪が並べられ、後円部墳頂には壺形(つぼがた)埴輪が並べられている。本墳は、瀬戸内海の海上交通の要衝に築造された著名な前方後円墳で、現在も墳形をとどめている。沖合には、当時の最新の船である準構造船が行き交っている。
 この復元画を作成していただくために、考古イラストレーターの早川和子先生と現地を訪れたのは、今から16年前の2008年秋だった。当時はまだ、「しまなみ海道周辺を守り育てる会」の環境保全活動も行われておらず、雨の中、来島海峡海上交通センターから古墳を眺望し、樹木が生い茂る墳丘を散策したことを覚えている。早川先生も「このような山の中にある古墳を喜んで案内する研究者を見たことがない!」と驚嘆されていた。
 本墳は、近年の澤田秀実氏(くらしき作陽大)の研究により、奈良市に所在する佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の宝来山(ほうらいさん)古墳の3分の1の築造規格を有することが明らかにされている。また、近隣の丘陵には相の谷2号墳(全長約53m)も残存している。
 このような巨大な前方後円墳がなぜ、来島海峡に臨むこの地に築かれたのか。畿内のヤマト王権とどのような関連を持っていたのか。墳丘に並べられた埴輪はどのように作られたのか。この古墳に秘められた謎は、数え出すと切りがない。
 ぜひ一度、この早川先生のイラストを手に現在の相の谷1号墳を見学していただきたい。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

この原画を基にしたパネルは歴史展示室1にて常設展示中。

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