調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第186回
2025.3.18

高松―宇和島 予土線で

50年前の時刻表

「時刻表」昭和50年3月号=県歴史文化博物館蔵
 3月は卒業や異動の季節だが、ダイヤ改正が行われるのもこの時期だ。今月15日(2025年3月15日)に行われたJR四国のダイヤ改正では、パターンダイヤが導入・拡大された。そこで、昔の時刻表をめくっていると、1975(昭和50)年3月の時刻表に予土線経由で高松―宇和島間を結ぶ列車が掲載されていた。今回はこの列車について紹介したい。
 予土線の歴史は宇和島鉄道に始まる。1914(大正3)年に宇和島―近永間が、続いて1923年に近永―吉野(現吉野生)間が開通した。1933(昭和8)年に国有化されて宇和島線となり、1953年に吉野生―江川崎間が、1974年に江川崎―若井(窪川―中村間の駅)間が開通して、現在の予土線が誕生した。
 予土線が開通したころの四国は、特急が登場して間もない時期であり、本数も少なかった。四国ではまだまだ急行が中心であった。そのような中で、1974年の予土線開通に合わせて、高松―窪川間を急行「あしずり」に連結させ、窪川―宇和島間を単独快速として、直通する列車が設けられた。
 1975年3月のダイヤ改正を掲載している本資料によると、下りは急行「あしずり」1号に連結されて5時4分に高松を発車、7時52分に高知、9時30分に窪川、そこで急行と分離され、快速として11時35分に宇和島に到着する。一方、上りは9時24分に快速として宇和島を発車、11時21分に窪川、そこで急行「あしずり」3号に連結され、13時7分に高知、16時14分に高松に到着する。高松―宇和島間を下りは6時間31分、上りは6時間50分かけて結んでいた。
 1984年2月のダイヤ改正で予土線を走る快速は窪川止まりとなり、続く1986年11月のダイヤ改正で快速列車は廃止された。高松―宇和島間であれば、予讃線の方が短時間である。予土線経由の快速列車を設けたのは、道路整備がまだ進んでなかったため、南予と高知の利便性を鉄道で図ろうとしたのではないだろうか。今では想像もつかないルートだが、このような〝裏わざ〟的ルートを再発見したり、再認識したりするのも時刻表のおもしろさであり、醍醐味(だいごみ)ともいえるだろう。

(専門学芸員 平井 誠)

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