調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第182回
2025.1.28

植物由来 今も残る色名

漁網の染料「カッチ」

(上)網の染料「カッチ」、(下)カッチ看板(縦53.0cm 横72.0cm 厚み5.2cm)=県歴史文化博物館蔵
 「カッチ色」と聞いて、すぐその色が思い浮かぶ方は漁業関係者かもしれない。
 「カッチ」はマングローブから抽出した植物性染料で、漁網を染めるのに用いた。漁網に麻や木綿を使用していた頃、網は柿渋や染料で染められていた。平成の終わりまでは、伊方町三崎や大洲市長浜近辺のフグ縄漁で綿糸の漁網を使用していたそうである。
 黒地に鮮やかなタイが描かれた「カッチ看板」が掲げられていたのは、旧西海町船越(現愛南町)の漁網漁具店である。「特撰魚印」、「独逸製カッチ」の金の文字が輝いており、インパクト大である。看板にある「濱本漁網店」は広島市に本社を置き、船越に支店を出しており、ドイツ製のカッチを取り扱っていた。
 当館の聞き取り調査によると、船越の店舗は狭かったため、店中でカッチを用いて染めることはなく、カッチを購入した漁師が桶(おけ)やドラム缶に入れて網を染めていたとのこと。ドンゴロス(麻袋)に入ったカッチの塊が店に届くと、そのカッチを金づちでたたいて割り、小麦粉袋に入れなおしてキロ単位で量り売りをしていた。
 カッチの配合で色の濃淡が変わり、漁師だけでなく、農家でもネズミよけなどの目的で布を染めていたようである。また漁網の染色にはコールタールも用いられたが、カッチよりも安価で染められることから、大きな網、巻き網などに使用された。コールタールで染めた後は網が「モヤモヤしてモエル」(熱を発する)ため、網に塩をまいて熱を取る作業を行っていたとのことである。
 この看板を所蔵していた漁網漁具店は、昭和30年代に独立し、その後八幡浜市へ移転した。八幡浜市での営業では、カッチをはじめとした漁具を、佐田岬半島の串や与侈(よぼこり)、名取まで配達していた。佐田岬は道が狭いため、顧客の近くまで車で行き、いったん車を降りて歩いて家を訪ね、ショイコ(背負いはしご)を借りて車まで戻り、商品を積んで届けたという。
 最初のカッチ色に話を戻すと、「茶色」や「濃赤褐色」に近いだろうか。カッチを使用して網を染めることはない現在でも、漁網の色名として「カッチ色」が残っている事実は、とても興味深い。

(専門学芸員 松井 寿)

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