調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第179回
2024.12.8

戦意高揚する新聞紙面

12月8日 太平洋戦争開戦

太平洋戦争の開戦を報じた新聞(昭和16年12月9日付、大阪毎日新聞=県歴史文化博物館蔵
 終戦の日が8月15日であることは多くの方が知っている。しかし、開戦の日を知っている方は少ないのではないか。今回紹介する資料は1941(昭和16)年12月8日に太平洋戦争が始まったことを報じた翌日付の大阪毎日新聞である。同紙は朝日新聞などと並ぶ全国紙であった。
 紙面には「米英へ宣戦布告の大詔」、「西太平洋で開戦」、「ハワイへ決死的空襲」などの大きな見出しが並んでいる。そして、中央には開戦の詔書が掲載されている。その内容を現代文で要約すると、「日本は各国と交流を深め共に繁栄することを外交の要としてきた。この度米英と戦争に至ったが、決して私(天皇)の希望ではない。中華民国(蔣介石)との衝突は4年が経ち、国民政府(汪兆銘)が誕生して良好な関係を築いている」と外交関係を述べて、次のように続けている。
 「米英は重慶の残存政権を支援して東アジアを乱し、平和の名のもとに東洋の覇権を握ろうとしている。武力を増強して平和的通商を妨げ、遂に経済を断交して日本に重大な脅威を与えている。このままでは東アジアの安定に対する長年の努力は水泡に帰す。自存自衛のため障害を打破し、東アジアに永遠の平和を確立して日本の栄光を守る」と結んでいる。
 東アジアを米英の脅威から解放することが戦争の目的とされたのである。裏面には「必勝の意気昴然」、「県民の血はたぎり 伊予路に鐡石の構え整ふ」とある。愛媛県知事は「軍部に絶対の信頼をなし、協力一致、各その職域奉公し、生産力拡充、増産奨励に銃後援護の完璧、防空の完遂等に突進」することを県民に求めている。
 開戦後、新聞やラジオでは戦意高揚がますます顕著になっていった。しかし、3年8カ月後、日本は近隣諸国に多くの被害を与え、自国も未曽有の被害を受けて終戦の日を迎える。今年の12月8日は日本が戦争の道を歩んだ歴史を振り返る機会にしてはどうだろう。8月15日だけが戦争の悲惨さや平和の大切さを考える機会ではない。日常生活の中で折に触れて考えることこそ大切ではないだろうか。

(専門学芸員 平井 誠)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。