道後温泉に「湯釜」秀逸
正保伊予国絵図
- 「正保伊予国絵図」のうち、道後周辺の部分拡大。左上が道後温泉、中央が石手寺、左下が河野古城(湯築城)
県歴史文化博物館は、この(2024年)11月で30周年を迎える。その記念特別展として現在、「国絵図の世界 甦(よみがえ)る正保伊予国絵図」(2024年10月19日~11月24日)を開催している。
国絵図とは、江戸幕府が全国の大名に命じて作らせた国単位の絵図を指す。正保伊予国絵図は南北が7.5m、東西が7.48mで、全国の国絵図の中でも最大級となっている。その巨大な絵図を折り畳んで保存するため、折り目への負荷が大きく、一部の折り目が裂けて二つに分断された状態であった。それを安全に取り扱えるようにするために、2022、23年度の2年間かけて修復を行った。今回の展示では、その修復過程も多くの写真で紹介している。
それにしてもあまりの大きさのため、絵図が入る展示ケースも当然なく、修復した絵図をどのように展示するのか、悩みの種となった。最終的には、展示室内に8m四方の仮設の展示台を設置、学芸員が7人がかりで絵図を広げた後、ホコリよけのビニールシートをかけ、ようやく展示が完成した。全国の博物館の中でもこれほど大きな史料が展示された前例は少なく、30周年にふさわしいチャレンジとなった。
展示した巨大な絵図は壮観で、眺めているだけでも、諸大名に作製を命じた江戸幕府の権威がいかに強かったかが伝わってくる。ただ、残念なのは大きさが仇(あだ)となって、展示では細かい描写まで見ることができないということ。それを補うために、博物館では展示に先行してホームページの「絵図・絵巻デジタルアーカイブ」に正保伊予国絵図の高精細画像を公開した。
絵図には興味深い描写がいろいろとあるが、一番おもしろいと思ったのは道後付近である。道後村と記された小判形の村形の下に「湯」とあるのが道後温泉で、その横には石造の湯釜が描かれている。名所の描写について統一基準はなく、絵図を作製した国元の判断に委ねられたものと思われるが、絵師が道後温泉を象徴するものとして湯釜を描き込んだのだろう。簡潔でありつつも、道後温泉を示す秀逸なランドマークといえる。
正保伊予国絵図の展示は大変な作業であり、次の公開はかなり先になるだろう。数少ない機会なので、ぜひお見逃しなく。
国絵図とは、江戸幕府が全国の大名に命じて作らせた国単位の絵図を指す。正保伊予国絵図は南北が7.5m、東西が7.48mで、全国の国絵図の中でも最大級となっている。その巨大な絵図を折り畳んで保存するため、折り目への負荷が大きく、一部の折り目が裂けて二つに分断された状態であった。それを安全に取り扱えるようにするために、2022、23年度の2年間かけて修復を行った。今回の展示では、その修復過程も多くの写真で紹介している。
それにしてもあまりの大きさのため、絵図が入る展示ケースも当然なく、修復した絵図をどのように展示するのか、悩みの種となった。最終的には、展示室内に8m四方の仮設の展示台を設置、学芸員が7人がかりで絵図を広げた後、ホコリよけのビニールシートをかけ、ようやく展示が完成した。全国の博物館の中でもこれほど大きな史料が展示された前例は少なく、30周年にふさわしいチャレンジとなった。
展示した巨大な絵図は壮観で、眺めているだけでも、諸大名に作製を命じた江戸幕府の権威がいかに強かったかが伝わってくる。ただ、残念なのは大きさが仇(あだ)となって、展示では細かい描写まで見ることができないということ。それを補うために、博物館では展示に先行してホームページの「絵図・絵巻デジタルアーカイブ」に正保伊予国絵図の高精細画像を公開した。
絵図には興味深い描写がいろいろとあるが、一番おもしろいと思ったのは道後付近である。道後村と記された小判形の村形の下に「湯」とあるのが道後温泉で、その横には石造の湯釜が描かれている。名所の描写について統一基準はなく、絵図を作製した国元の判断に委ねられたものと思われるが、絵師が道後温泉を象徴するものとして湯釜を描き込んだのだろう。簡潔でありつつも、道後温泉を示す秀逸なランドマークといえる。
正保伊予国絵図の展示は大変な作業であり、次の公開はかなり先になるだろう。数少ない機会なので、ぜひお見逃しなく。
(学芸課長 井上 淳)
※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。