調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第175回
2024.10.19

中国から輸入し庶民へ

白磁碗

余戸柳井田遺跡出土の白磁碗の側面(上)と裏面(下)=県教育委員会蔵
 普段目にするお碗(わん)とほとんど変わらない形。口径16.5cm、高さは6cmで碗としては少し大きい。この器は、12世紀中ごろ~後半の中国でつくられた白磁である。
 白磁は磁器の一種である。磁器は陶石を原料とする。1280度~1435度の高温で焼成された焼き物で、硬く、軽く、多くは釉薬(ゆうやく)を施すので表面は滑らかで光沢があり水を通さない。磁器のなかでも、白い素地に透明の釉薬のかかったものは白磁と呼ばれる。日本においては、江戸時代の1616(元和2)年に有田で磁器生産に成功するまで、中国や朝鮮から輸入していた。
 白磁碗を裏返してよく見てみよう。底には高台と呼ばれる台がつく。回転台を使って粘土から器を形づくったあと、道具で削りだす。高台には釉薬がかかっていない。高台を持って釉薬につける「ツケガケ」が行われている。底に向かって垂れたように釉層が厚くなっている部分があり、底を上にして釉薬につけたあと、底を下にして窯に入れて焼成したことがわかる。釉薬は斜めにかかり、いかにも「さっとつけた」感があるが、机の上に置けば器の底は見えないから、この施釉方法は大量生産に適した方法だったといえる。
 白磁は中国の主要な貿易品の一つであり、8世紀ごろからアジア各地やアフリカ大陸へ運ばれていた。白磁の碗や皿は、美しくて使いやすい高品質な器であったが、高級品であったわけではない。一種の量産品であり、比較的安価であったことも白磁の碗や皿が日用品として広く受容された要因であった。
 白磁は大量生産された器であったとはいえ、輸入品であり、日本において庶民に普及し始めたのは12世紀になってからである。この白磁碗が出土した松山市の余戸柳井田(ようごやないだ)遺跡は、中世には水田の広がる農村であったが白磁や青磁が複数出土している。松山市内の遺跡としても多く、輸入品を入手しやすい何らかの理由があったのだろうか? 遺構から出土したわけではなく、明確なことはわからないが、この白磁碗の存在は、「輸入品の白磁で食事をする農民」という中世農村の食卓の様子を想像させるものである。

(学芸員 三浦 彩)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。