調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第173回
2024.9.7

江戸後期 巡礼の案内図

象頭山参詣道四国寺社名勝八十八番

金毘羅参詣と四国遍路を描いた絵図(縦35cm、横47.6cm)=県歴史文化博物館蔵
 象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現と四国八十八カ所を描いた江戸時代後期の案内絵図。木版色刷り。「金毘羅小坂美玉堂」が刊行。
 金毘羅大権現(現在の金刀比羅宮)は航海の安全や豊漁、五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛、病気平癒などに御利益があり、古くから人々のあつい信仰を集めてきた。
 当時、金毘羅参詣とあわせて四国遍路を行う旅人も多く、こうした絵図が土産として買い求められたものと考えられる。
 絵図を見ると、鮮やかな青色の海に囲まれた四国の形は大きくデフォルメされ、瀬戸内海を渡って四国に上陸する旅人の目線を意識しているかのように、南が上、北が下の構図となっている。
 中央には象頭山金毘羅権現が位置し、それを取り巻くように四国八十八カ所と番外霊場、それらを結ぶ巡拝道が描かれている。また、札所間の距離、城下、名所旧跡、港、川、国境、航路なども細かく記され、遠くは高野山、大坂、豊後の佐賀関、安芸の宮島なども描き込まれ、タイトルに「寺社名勝」とあるように、物見遊山的な雰囲気が満ちている。
 神仏習合の江戸時代における札所の名前は現在と異なり、例えば伊予では第41番は「いなり」(龍光寺)、第57番「八まんぐう」(栄福寺)と表記されている。
 注目したいのは、弘法大師生誕の地善通寺をはじめ金毘羅の周辺にある大師ゆかりの札所や番外霊場が細かく記載されている点である。「足よはき人は此印七り十ケ所をめぐれば四国順拝にじゅんずといふ」と記され、讃岐十ケ所参り(第71番弥谷寺~第77番道隆寺の7カ寺と虚空蔵寺、海岸寺、熊手八幡宮の番外霊場3カ寺)が選定され、記号で表示されている。同様に阿波では「阿波十ケ所参り」(第1番霊山寺~第10番切幡寺)が紹介されている。また、明治初頭まで女人禁制だった室戸岬周辺の第24番「ひがし寺」(最御崎寺)と第26番「にし寺」(金剛頂寺)では、「女人札所」の記載があり、別の場所に女性用の参拝所が設けられていたことが確認できる。
 本絵図からは、江戸時代後期の四国における金毘羅参詣を中心とした四国遍路と各地域の小規模巡礼や女人札所など、多様な四国巡礼の姿を読み取ることができる。

(専門学芸員 今村 賢司)

 象頭山参詣道四国寺社名勝八十八番は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに高精細画像で公開中。

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