調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第170回
2024.7.21

「壁付き建物」描いた謎

今治市別名寺谷Ⅰ遺跡の絵画土器

絵画土器(弥生時代中期)=県教育委員会蔵
 絵が描かれた弥生土器を見たことがある方はおられるだろうか? 当館でも何度か、特別展やテーマ展で展示したことがあるが、「どうして弥生土器にこのようなものを描いたのだろうか?」という疑問がいつも頭から離れない。研究者が集成したデータによると1999年の段階で、中国・四国地方では、9県154遺跡、506例が確認されている。本県では、35遺跡129例が数えられているが、その後の資料の増加により、140例近くになると思われる。
 今回紹介する今治市別名寺谷(べつみょうてらだに)Ⅰ遺跡出土絵画土器は、高坏(たかつき)という土器の坏部から脚部にかけて、壁付きの建物2棟がヘラで描かれている。建物の間には、矢羽根透かしという伊予の高坏の特徴である三角形の透かし孔が認められる。現状では、2棟しか確認できないが、4カ所の矢羽根透かしの間に建物が1棟ずつ描かれていたことが想定されている。この建物には屋根の他に格子状の壁が表現されていることが特徴である。
 絵画土器のモチーフとしては、建物の他に鹿、人物、鳥、船、魚等が確認できる。建物は2番目に多いことが指摘されているが、このような壁を表現した事例は国内でも本資料のみである。現在のところ、建物の絵画土器は「単なる風景ではなく、日常生活において重要視するものとして表現された」と考えられている。
 この絵画土器が発見された別名寺谷Ⅰ遺跡では、竪穴建物1棟と溝6条が確認されている。絵画に描かれたような壁付きの建物は確認されていないが、近隣にあった建物を見て、弥生人はこの土器に描いたのであろう。
 それではなぜ、このような壁付きの建物を描いたのであろうか? このような弥生人の心にアプローチすることは大変難しい。弥生土器絵画の研究が始まってから約100年がたつが、弥生人の心性についてはむしろ美術史など他分野からのアプローチの方が可能性があると感じられる。読者の皆さまの意見も聞いてみたい難問ともいえる。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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