調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第149回
2023.9.5

建造技術や型・名 伝える

木造和船の板図

1939年、県歴史文化博物館蔵。縦13.2cm、横76.0cm。
 瀬戸内海や宇和海の漁業や交通において木造和船は大きな役割を果たしてきた。木造和船は、地域の船大工が独自の技術や工夫を駆使して造り上げてきたが、今ではもう目にすることが少なくなった。
 木造和船を建造する際の設計図に当たる船図面には、紙に描いた紙図と板に描いた板図とがあるが、今回は宇和島市津島町で木造和船を建造していた船大工から寄贈を受けた板図を紹介する。
 板図は船の側面図や、断面図、船名や船主名、進水時期などが記されており、縮尺は10分の1が多い。木材が貴重であったため、1枚の板の表裏に複数の船の図を描いたり、船の寸法を2種類描いたりした板図もある。寄贈者の話によると「あの船がよかったけん、また作れ」と言われ1つの板図で4艘(そう)作ったこともあるという。一方で、板図は船の完成と同時に役目を終え、鉋(かんな)をかけて新たな図面が描かれたり、焚き付けとして燃やされたりすることもあった。
 本資料の右端には、1939(昭和14)年に北宇和郡北灘村木浦松(現在の宇和島市津島町)の船主から注文があった旨の墨書がある。実際に完成した船は、御五神島(おいつかみじま)近くまで漁に行き、タイ・イサギ・アジ・ハマチを釣ってきたという。この規模の船だと片道3時間の漁が限界とされており、夜中に出港してから潮が変わるまでが勝負であった。
 船を造るには、はじめに船主と船大工とで、船の種類や形、大きさについて相談を行う。金額がまとまると交渉の成立となる。寄贈資料の中には津島町造船組合による協定価格表もあるが、価格表はあくまで目安であり、「金がないけん、そんなにいいもんいらんぞ」と船主に言われることもあった。
 木造和船の建造は、カーラやシキ(敷)と呼ばれる船底板の加工から始まる。船底板を折るには、ヤキダメといって板を火であぶって曲げる方法もあるが、寄贈者は、板を蒸して柔らかくする方法を用いたという。母親がかまどにお湯を沸かしておき、父親と3人がかりで行った。板の上から柄杓(ひしゃく)で湯をかけ、下にはモップ状にしたシュロを置いて、上下の両方から蒸していく。板に湯をかけながら「もうちょっとしたら折れるでー」というぎりぎりを見極めて行う作業は、2、3日を要した。
 板図は木造和船の船型を知る上で貴重な資料であり、船主との信頼関係のもと、確かな技術とこだわりをもって取り組んだ船大工の仕事を今に伝えている。

(専門学芸員 松井 寿)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。