調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第148回
2023.8.19

情熱伝わる刀身の彫り

刀匠高橋貞次の彫刻用具

(上)彫刻用具 (下)刀身彫刻の型取り=ともに県歴史文化博物館蔵
 日本刀は武士の魂として尊ばれ、ご神宝として奉納されるなど、わが国の歴史的文化遺産として、世界に誇る「鉄の芸術」といわれているが、かつて日本刀の歴史には受難の時代があった。敗戦にともない、連合国軍総司令部(GHQ)による武器の回収、製造禁止が命ぜられた。特に日本刀は軍国主義の象徴として回収され、製造することも禁止されたため、多くの刀鍛冶が路頭に迷った。危機に直面した刀剣界において、「日本刀は武器でなく美術品である」とする日本刀復興運動が起き、国立博物館(現東京国立博物館)の本間順治博士(号は薫山)をはじめ有志は、GHQに日本刀の救済を訴えた。
 新居郡西条大町村(西条市)出身の高橋貞次(1902~68年)も日本刀の復興に尽力した一人である。貞次は大阪の刀匠月山貞勝・貞一父子に入門し、1936(昭和11)年に松山市石手に日本刀鍛錬場を開設した。
 1950(昭和25)年、貞次は本間博士のすすめで在日米軍第8軍司令官ウォーカー中将に「梅龍」の彫り物がある短刀を贈呈し、中将から感謝状が授与され、日本刀は美術刀であることを自らの作品で実証した。日本刀復興運動は次第にGHQに理解され、ようやく1953(昭和28)年、日本刀制作は承認制となり、再び日本刀が打てる日が到来した。
 今回紹介する資料は、貞次が日本刀制作の刀身彫刻の過程で用いた彫刻用具と彫刻の型取りである。彫刻用具には、ルーペ、小槌、鏨(たがね)などがある。鏨は手製である。彫刻の型取りは鉛製で、大黒天、不動明王、梵字(ぼんじ)、龍、剣巻龍などの模様の型があり、作品の記録用に制作したものと見られる。貞次は最も難しいとされる龍の彫り物を得意とした。
 貞次は語っている。刀身彫刻は単なる刀身の装飾でなく、「刀の彫りというのは信仰に結びついてこそ気品もあらわれる」と。これらの資料からは、貞次の刀身彫刻へのこだわりや、名刀制作へのひたむきな情熱が伝わってくる。
 貞次は1955(昭和30)年に、金工部門の「日本刀」制作技術において、全国で最初の人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された。また、1960(昭和35)年の浩宮(今上天皇)誕生に際しては、御守刀(おまもりかたな)を謹作するなど、現代に優れた名刀をのこした。

(専門学芸員 今村 賢司)

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