調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第134回
2023.2.1

操業は10年 幻の焼き物

明治時代の「三間焼」

三間焼染付草花文鉢。口縁径22.5cm、高さ7.2cm。底部に「三間造」の銘がある。県歴史文化博物館蔵
 明治時代の愛媛の焼き物に「三間焼(みまやき)」がある。かつて宇和島市三間町土居中(どいなか)で、碗(わん)や皿、鉢などの日常食器が生産され、宇和島市内の陶器商に卸売りされ、近隣や南予方面に販売されていた。「土居中焼」とも称された。
 三間焼の歴史は砥部出身の旅芸人が三間で焼き物の原料となる陶石を発見し、現地の資産家に窯業を勧めたことに始まる。窯業の先進地である砥部焼や御荘焼の陶工などによる技術指導のもとで、1890(明治23)年ごろに開窯した。窯場の焼失などにより、操業は約10年と短く、南予地方の幻の焼き物といえる。
 今回紹介するのは希少な三間焼の製品「染付(そめつけ)草花文鉢」である。大・中・小サイズの三ツ組鉢で、酸化コバルトを用いて鉢の見込みに草花文様、外面に東屋山水文様が手描きされている。鉢の底部には「三間造」の産地銘が記されている。見込みには使用痕がかなり見られ、日常食器として長年使用されたものとみられる。
 三間焼の窯跡は、道路建設の際に取り壊され詳細は不明であるが、窯道具や未製品などが地元でわずかに採集されている。
 ろくろに使用される磁器製の軸受けには、染付による手描きで「宇和島土居中製造」と記されている。焼成時に製品の積み重ねに用いる円盤状の「ハマ」、ヒトデのような形の「テモノ」、台形状の「トチン」などが確認できる。これらの窯道具から三間焼では、焼成室を複数連ねた連房式の登り窯で天秤(てんびん)積みが行われ、磁器製品の量産化が図られていたことがわかる。
 三間焼は、中予の砥部焼、南予の御荘焼という磁器の大生産地の間にあって、小規模ながらも先進地の技術を積極的に導入している。紹介した鉢は明治中期の南予地方の産業や地方窯の歴史をもの語る資料として注目される。

(専門学芸員 今村 賢司)

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